店頭社会学


2008年02月01日(Fri)
店頭社会学


店に立ち四半世紀を越えて接客していると、お客さまの嗜好の変化が如実で時代を映し出す鏡のようでおもしろい。

ここ最近、とにかく団塊の世代から同年代とおぼしきお客さまの層が圧倒的に多くなった。
先祖供養に責任をもつ世代が下がってきたと言えなくもないのであるが、単に世代交代しているとそう単純なものでもないように思う。

つまり家の先祖を無条件でお守りしなければいけないというという考え方から、多種多様な目的での来店が目立つようになってきた。

自分を守る仏を祀りたい、巡礼をしたい、写経をしたい、癒しを求めたい、云々・・・
言うなれば自分探しに近いところで、仏教を宗教として感じているように見受けられるのだ。

「仏教を宗教と感じる」変な表現だけれど(そもそも仏教は宗教なのだから・・・)より本質に気付きだしてきたのではないのかな。

僕らの親の時代までは、家の宗教は宗教。自分の生き方は生き方のように、そこには厳とした隔たりがあったように思う。家の宗教には生き方までを求めていないし感じさせてもくれない。先祖をお守りしてくれる都合のよい保管機関程度の存在。
認識の上ではそうだったのではないだろうか。

寺と言う存在は実は宗教だったんだということに改めて気付きだしたのではないのかな。

こういう傾向って、2〜30年前はまず話題にもならないことだった。
以前は先祖をお守りするのは、不可侵的な部分として寺との関係も含めて、家の宗教としてまず守ればよい。個の考えは挟む余地がなかった。


しかし、オール社会派みたいな時代の寵児達、社会の改革を標榜していた世代が先祖を守る立場で親からバトンタッチされた今、
先祖供養の形に変化をもたらしてくるのも何となく理解できる。

同時に微妙な問題を孕む大事な時期のような気もするのだ。



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